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山口県・萩/長州の歴史が分かれば、萩は10倍おもしろい…<無料記事>

2011 - 12/22 [Thu] - 12:23

萩

 

260年余年に及ぶ忍耐の地
戦国時代あるいは幕末を舞台にしたNHKの大河ドラマを見れば、嫌でも「長州」という言葉を耳にする。それは長州藩毛利家が、約260年間に及ぶ徳川幕府の「はじまり」と「おわり」に絡む数奇な縁を持つからに他ならない。萩を面白く旅するための「はじめの一歩」は、この長きにわたって江戸幕府から苦汁を舐めさせられてきた長州の歴史を、簡単に振りかえることから始めよう。

 

関ヶ原

 

コトのはじまりは、関ヶ原の合戦 
毛利家と聞けば、かの名将「毛利元就」を思い起こす人も多いだろう。一代にして大内氏の所領の大部分と尼子氏の所領を併せ獲り、西国最強と云われる戦国大名になった男である。
長州藩の実質的な初代藩主である毛利輝元は、その元就の孫にあたる。輝元は天下人となった豊臣秀吉に仕え、約120万石を拝領して本拠を吉田郡山城から地の利の良い広島に移している。そのため、秀吉の死後に勃発した関ヶ原の合戦では、輝元は西軍・石田三成方の名目上の総大将として担ぎ出され、大坂城西の丸に入ることになった。とはいえ、秀吉亡き後の天下人を目指すわけでもない輝元は、東軍に内通していた従弟の吉川広家を通じて、徳川家康に敵意がないことを先に伝え、所領安泰の約束を側近から取り付けていたのである。
ところが… 合戦後に家康は、輝元が西軍に積極的に関与していた書状を大坂城で押収したことを根拠に、所領安堵の約束を反故にする。その結果、本人は隠居、毛利家は120万石から36万石に減封のうえ、嫡男の秀就に周防・長門2国だけが残されることになった。

 

萩城跡

 

外様の悲哀  
所領を約4分の1に減封された毛利家は、新しい居城地を、防府・山口・萩の3か所から選ぶ旨の伺いを幕府に立てるが、既に開けた防府と山口は外様の分にあらずと、萩に築城することを命じられる。当時の萩は、隣藩の津和野城の出丸の遺構が横たわるだけの鄙びた土地であった。
また残る多くの家臣を養うために、新たな検地に着手し、慶長15年(1610年)には何とか54万石余を打ち出した。ところが、これもまた分相応ではないことを理由に公認されず、36万石という表高は幕末まで変わることはなかったのである。
こうした経緯から、長州藩では江戸時代を通じて「倒幕」が極秘の「国是」で、新年拝賀の儀で家老が「今年は倒幕の機はいかに」と藩主に伺いを立てると、藩主は毎年「時期尚早」と答えるのが習わしだったという話が、まことしやかに残されてきた。

 

松下村塾

 

尊皇攘夷論で巻き返し 
再興を期し、江戸時代の中期に外国貿易で巨万の富を築いた長州藩は、幕末には再び円熟の時を迎えていた。尊皇攘夷論を唱え、京都を舞台にまさに政局をリードする存在になりつつあったのである。その背景には、藩士・吉田松陰の私塾である「松下村塾」出身の優れた人材が、さまざまな分野で台頭をし始めたことが挙げられる。
いっぽう衰えの兆しが見える江戸幕府は、保守派の井伊直弼が大老職に就き、攘夷派の弾圧を徹底的に強化する。この世に言う「安政の大獄」により、吉田松陰は極刑に処せられ、これが倒幕への導火線となっていく。

 

蛤御門

 

幕末の動乱  
1863年、激動する情勢に備えて、長州藩は幕府に無断で山口に新たな藩庁を築き、山口藩が成立した。同時に京都では攘夷推進派が活動を活発化させ、14代将軍徳川家茂に、文久3年5月10日をもっての攘夷実行を約束させるにいたった。
しかし攘夷推進派は8月に御所で起きた禁門の変(蛤御門の変)で会津・薩摩藩の連合軍に敗れ、京都から追放されてしまう。また、時を同じくして英・仏・蘭・米の列強四国との間に下関戦争をしかけるも、近代兵器の前に惨敗を喫し、その勢力は急速に陰りを見せることになった。
それに追い打ちをかけたのが、幕府の第一次長州征伐軍である。長州藩は幕府恭順派が実権を握り、主戦派は粛清されて降伏。完成したばかりの山口城を一部破却して、毛利敬親・元徳父子は再び長州萩城へと退いた。

 

高杉晋作

 

薩長同盟で形勢逆転
下関に逃れた主戦派の藩士高杉晋作は、伊藤俊輔(博文)らと共に、民兵組織を率いてクーデター(元治の内戦)を決行。功山寺で挙兵した決起隊は各所で勢力を増やして萩城へ攻め上り、恭順派を倒した。
司令塔の桂小五郎が戻り、再び主戦派が実権を握った長州藩は、坂本龍馬の仲介で薩摩藩と同盟を結び、幕府の第二次長州征伐軍と再戦、勝利する。長州藩に敗北した幕府の求心力は急速に弱まった。その後、薩長による討幕運動の推進によって、15代将軍徳川慶喜は大政奉還を行い、江戸幕府はついに崩壊。王政復古によって、薩摩藩と共に長州藩は明治政府の中核となっていくことになる。
萩城址
〒758-0057 山口県萩市大字堀内2区1−1
現地電話なし。まっぷるコード: 35000341

 

 

萩

 

 
 
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稲垣朝則
車中泊専門雑誌カーネルの巻頭特集「車中泊で旅する」を連載しており、その取材で年中日本全国を旅している。
既に日本列島を5往復以上…
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